今回は、前回書いた「ああ、そうなんだ~」と、ありのままの肯定をした上でのアプローチを、保護者対応に応用してみます。
保育園で荒れてしまう子、その原因は…
ある保育園のお母さんが、2歳の子どもに大人がされてもつらいような大変感情的な怒り方をしていました。ご家庭でも、些細なことでも厳しく怒られる、といったことが日常的になっていました。
当然、子どもは保育園で荒れて、大人に反発したり、他児に攻撃したり、なにかにつけてごねることで感情を爆発させていました。
いつも怒ってばかりで子どもに笑顔ひとつ向けることのない親や、それこそ子どもを叩いてしまう親。
子どもを置き去りにして遊びに行ってしまう親。
その子が意地悪になってしまうほどの教育熱心さにより、子どもに負荷をかけている親。
保育園にくる家庭にはさまざまなものがあります。
けっして円満な子育てをしている家庭ばかりはありませんよね。
子どものいいなりになるばかりで、してはいけないことに対してまで叱ることもせず見て見ぬ振りをしてしまう人などもいます。
保育士から見て、好ましく見えない親もいれば、どうしても許容できない家庭だってあることでしょう。
こういった家庭に対して保育士が、「あのウチは愛情がない」「しつけがなっていない」などと、ひとことで否定してしまうことは簡単です。
しかし、「保護者が悪い」と、考えることをやめてしまうと、その保護者に対しても、ひいてはその子どもに対してもよりよい援助はできなくなってしまいます。
現状それができない保護者に対して、「それはよくない。こうしなさい」といった「上から目線」のアプローチをしても根深い問題は解決しないのです。
本当に援助が必要な人ほど、、その援助が届かなくなってしまいます。
ありのままの肯定で受け止めるとは
そこで、前回も登場した「ああ、そうなんだ~」と「ありのままの肯定」をした上でのアプローチの出番です。
前回は園児に対する場面でしたが、こうした相手をことさら否定も肯定もせずに、ただありのままを受け止めるところから関わりをスタートする方法は、保護者に対してのアプローチでもとても大きな力を発揮します。
今回のようなケースを、「ああ、そうなんだ~」という気持ちで受けてみます。
・「ああ、そうなんだな。この人は子どもの素直に従わない姿に対して、怒りを感じて、怒らずにはいられないのか」
・「ああ、そうなんだ。このお母さんは子どもが言うことを聴いてくれない場面で、どう対応したらいいかわからず無視したり、スマホを見ることにならざるをえないのだな」
否定も肯定もしない態度で、保護者に向き合う
保育士として、自分の主観だけで相手を判断してしまうと、結果的にはその保護者への「否定」の見方になっていきます。
人間は不思議なことに、自分を否定的に見ている相手のことは、たとえ直接、言葉や態度に表されていなくても、感じ取ってしまうものです。
そういった相手からの言葉を、気持ちよく受け取ることはできませんよね。
だから、その人のしていることに共感できない時に、否定的な見方をすることは避けたほうがよいのです。
ただし、そうはいっても、肯定的に見る必要もありません。
ここがポイントで、僕はこれを「否定も肯定もしない態度」と呼んでいます。
例えば、子どもを見ずにスマホばかり見ている保護者がいたとして、それを積極的に「それでいい」と思う必要もありませんし、「それが悪い」と決めつけてとらえる必要もないわけです。
これが、「ああ、そうなんだ~」の精神です。
「ああ、そうなんだ~」と受け止めたところが、スタートラインに
子育てでは、ついつい「こうあるべき」という視点からものを考えてしまいがちになります。
子どもに対しても、親に対してもそうです。
「こうあるべき」というところから、子育てで好ましくないことをする親を見ると、その親は「減点」ということになってしまいます。
その人なりに頑張って、多少そこからよくなったとしても、「こうあるべき」という合格点からはまだまだマイナスです。つまり、「否定」でみることになりますね。
しかし、「ああ、そうなんだ~」とその人のあるがままのところを、とらえてあげることによって、そこがその人の「いま」であり、スタートラインになります。
保育者が「ああ、そうなんだ~」と最初にその人の姿を受け止めてあげることによって、それまで目につかなかったその人の子どもに対する思いや、ほんの些細かもしれないけれど、頑張ろうとしている姿を目に映すことができるようになるのです。
そうやって相手を肯定する方向で、「ともに幸せになっていきましょう」というのが、保育が目指す寄り添った援助であり、本来の児童福祉ではないかと僕は考えています。
では、これらを踏まえて、冒頭の事例を見てみましょう。
保護者がなぜ感情的になるのか?の理由を考える
2歳の子どもがすることに、些細なことでも、日常的にとても感情的な怒り方をしてしまっていたお母さん。
このケース、保育士の目からすると、大変「冷たい」お母さんに見えませんか。
しかし、そのお母さんは、自身が子どものとき親から暴力的な虐待を受けて育ってきていました。
そして、なんとか「自分が親からされたようなことだけは繰り返すまい」と、必死になって子どもを叩くことをこらえていたのです。
このような生育歴のある人が、子どもに手を上げることを我慢していくことは、円満な子育てをされてきた人とは、比べものにならないほどにしんどいこと。
つまり、そのお母さんは普通の人が想像もできないほど悩み、頑張った結果、「激しい怒り方をする」というところになんとか着地していたのです。
しかし、こうしたことは外からでは容易にうかがい知ることはできません。
だから、保育士がその人の持っている主観だけで、保護者の在り方を否定してはならないのです。
そのように、多くの保護者が一見好ましくない子育てをしていると見える背景には、やむにやまれない理由を持っています。
そういう人ほど、子育てにおける本当の援助を必要としています。
それができるか・できないかのファーストステップが、「ああ、そうなんだ~」という見方にこそあるのでした。
その人の在り方を受け止められる保育士に
子どもに対する援助に比べて、親への援助はそう簡単ではありません。
しかし、それができてこそ、これからの時代の保育の在り方です。
時代の変化が保育士にそれを要求してきています。
たとえ上手にできなかったとしても、その人の在り方を受け止めて力になろうとする人が保育園にいたということだけでも、悩んでいる親の子育ての助けになることは間違いないでしょう。
こうした、もっとも援助が難しい人に対しても援助の手を伸ばすことができるようになれば、それ以外の人にも、援助していくことが可能になるでしょう。
こうした関係を保育士と保護者の間に構築できれば、「本当に保育園に入れて良かったです」と言ってくれる人は確実に増えていきます。
ひいては、これが「保育士の専門性」を社会に認めてもらうきっかけとなっていくことでしょう。
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プロフィール
保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。大学卒業後、男性としてはまだ珍しかった保育士(当時は保父)資格を取得する。
2009年、保育士としての経験などを元にブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』を開設。
現代の子育てに合った具体的な関わり方を伝えつつ、多くの人からの子育ての悩み相談にも応える。
著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』『保育士おとーちゃんの「心がラクになる子育て」』(ともにPHP研究所)など。
東京都江戸川区出身、墨田区在住。一男一女の父親。